脳卒中(脳梗塞や脳出血)の後遺症と聞くと、手足のマヒなどを思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし実は、「気分がひどく落ち込む」「やる気が出なくてリハビリが進まない」「ささいなことで急に怒ったり泣いたりする」「夜ぐっすり眠れない」といった症状に悩まされる方もいらっしゃいます。
これらは、ご本人の「気の持ちよう」や「わがまま」ではなく、脳の血管の病気によって起こる立派な後遺症(病気の症状)です。周囲に理解されにくく、ご家族だけで抱え込んでしまいがちな特徴があります。
当院では、こうした脳卒中後のこころの不調や睡眠のトラブルに対して、専門的なお薬の調整やケアを行います。リハビリテーションや再発予防の治療とも連携しながら、患者さんが前向きに、そしてご家族が少しでも負担を減らして穏やかに過ごせるようサポートいたします。
脳卒中後遺症における精神症状と高次脳機能障害
脳卒中(脳梗塞や脳出血)を発症した後に残る後遺症は、手足の運動麻痺やしびれといった身体症状だけではありません。脳の損傷部位に応じて、記憶・注意・言語・感情をコントロールする領域が障害されることで、「高次脳機能障害」や「器質性(二次性)精神障害」と呼ばれる多彩な精神・行動症状が引き起こされます。
これら脳卒中後の精神症状の発症には、脳の損傷そのものが直接的な原因となる「脳障害説」と、身体機能障害などによる心理的な葛藤や日常の障害(ADLの低下)が引き起こす「心因説」の両面が複雑に関与しています(木村真人, 精神経誌, 2011)。
例えば、身体機能障害の程度を一致させた調査であっても、整形外科の患者さんのうつ病発現頻度が10%であるのに対し、脳卒中患者さんでは45%に達するという報告があり、脳の器質的損傷そのものが精神症状に強く影響していることが証明されています(Folstein MF, et al, J Neurol Neurosurg Psychiatry, 1977)。また、脳卒中患者において脳病変が左半球の前頭極に近いほど、うつ病の頻度も重症度も高くなるという「左前頭葉障害仮説」も提唱されています(Robinson RG, et al, Ann Neurol, 1981)。
脳病変の「局在」がもたらす多彩な精神症状(二次性精神症群・行動症群)
脳の損傷によって、前頭葉と皮質下(視床・大脳基底核)を結ぶ特定の神経回路や、モノアミン等の神経伝達物質を脳全体に送る広汎投射系(内側前脳束など)が遮断されることで、脳の「部位(局在)」に応じた多様な精神症状が出現します(Cummings J, Arch Neurol, 1993 / Coenen VA, et al, Neuroimage Clin, 2018)。
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脳卒中後うつ病(PSD:Post-Stroke Depression)
左前頭前野と皮質下(尾状核)を結ぶ神経回路の障害が主な原因となります(Vataja R, et al, Arch Gen Psychiatry, 2001)。また、大脳基底核にも左右差(側性化)があり、左基底核病変では「陽性の感情の認知」が低下するため、重度の抑うつ状態を引き起こしやすくなるとされています(Paradiso S, et al, Psychiatry Res, 2013 / Robinson RG, et al, Am J Psychiatry, 2016)。 -
脳卒中後不安障害
うつ病を合併する場合は主として左半球の皮質病変と関連し、不安障害が単独で現れる場合は右半球の後部病変などと関連して、セロトニン受容体のバランスが変化することで引き起こされます(Castillo CS, et al, J Nerv Ment Dis, 1993 / Mayberg HG, et al, Am J Psychiatry, 1988)。 -
アパシー(無関心・発動性の低下)
目標指向的行動を開始・制御する前頭葉-基底核回路の遮断によって生じます。局在としては、前帯状回回路(ACC)の障害による持続性注意障害や無感情・無関心(Cummings J, Arch Neurol, 1993)、右基底核病変による無関心反応(Paradiso S, et al, Psychiatry Res, 2013)が代表的です。さらに、両側傍正中/内側視床梗塞による回路障害(Ghika-Schmid F, et al, Ann Neurol, 2000)や、内包後脚の損傷に伴う淡蒼球-脚橋被蓋核投射の障害(Starkstein SE, et al, Stroke, 1993)によっても目的指向性が著しく減少し、重度のアパシーが引き起こされます。 -
易刺激性(怒りっぽさ)・脱抑制・破局反応
社会的な関係や周囲への配慮(モラルやマナー)を司る眼窩脳回路(外側眼窩前頭皮質)が障害されると、ブレーキが利かなくなり脱抑制や易刺激性が生じます(Cummings J, Arch Neurol, 1993)。特に左前頭葉(前頭極に近い領域)の病変(Paradiso S, et al, J Nerv Ment Dis, 1996)や、腹側橋梗塞・小脳梗塞に伴う縫線核(セロトニン神経)の障害において、怒りを抑制できず暴力行動へと発展しやすくなります(Tang WK, et al, J Neuropsychiatry Clin Neurosci, 2017)。また、自身の限界に直面した際に突然激しい不安や流涙、暴言を呈する「破局反応(CR)」は、尾状核頭部など基底核病変によって皮質-大脳基底核-視床回路が遮断され、前頭前野による感情制御が解放(破綻)されることで生じます(Starkstein SE, et al, J Neurol Neurosurg Psychiatry, 1993)。 -
脳卒中後躁病(双極性障害)& 精神症群(幻覚・妄想)
うつ病とは対照的に、右半球の皮質下病変(右尾状核・視床病巣など)や、右眼窩前頭皮質・右側頭基底部を中心とする2領域の損傷(血流低下)が起きると、右辺縁系の機能障害や脱抑制を来し、脳卒中後躁病や双極性障害を発症することがあります(Starkstein SE, et al, Biol Psychiatry, 1991)。また、一見統合失調症と見紛うような幻覚や非系統的な被害妄想(精神症群)を呈する症例では、単一病巣ではなく、圧倒的に右半球(右前頭葉、右側頭葉、右頭頂葉、右尾状核など)に広範な病巣を持つことが多いのが特徴です(Stangeland H, et al, J Neurol Neurosurg Psychiatry, 2018 / Devine MJ, et al, J Neurol, 2014)。
前頭葉内側面の損傷に伴う「行為抑制の障害」
脳卒中によって前頭葉の内側面が損傷されると、周囲の環境や視覚刺激に対して、無意識のうちに自動的に身体が反応してしまう「行為抑制の障害(環境依存症候群)」が現れることがあり、精神科的な行動観察において極めて重要な指標となります(平山和美, Clinical Neuroscience, 2010)。
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把握現象(補足運動野・前補足運動野の障害)
手のひらに軽く触れたり(把握反射:補足運動野の障害)、目の前に出された手を視覚的に追いかけて強く握りしめ、取り次ごうとするとさらに強く握り込んで離さなくなる現象(本態性把握反応:前補足運動野の障害)が生じます。ベッドの柵や点滴の管、ケーブル類を無意識に掴み続けてしまうため、臨床上、注意深い管理が必要となります。 -
模倣行動 & 使用行動(背内側前頭前皮質の障害)
診察医が黙って敬礼をしたり手を叩いたりすると、真似をしないように求めても自分の意思とは無関係にその動作を真似してしまう「模倣行動」が見られます。また、目の前に置かれた物品(ペンや眼鏡など)を、今使う必要がないにもかかわらず勝手に使ってしまう「使用行動」も、同じく背内側前頭前皮質の障害(抑制の欠如)によって生じます。 -
病的収集行動(右腹内側前頭前皮質の障害)
本人にとっては強迫観念や不安(強迫性障害のような自我違和感)がなく、自分の意思に完全に馴染んだ形(自我親和的)で、生活に支障が出るほど病棟内や周囲の不要な物品を大量に集めて溜め込んでしまう行動異常が生じます(Funayama M, et al, Cortex, 2018 / 福井俊哉, 臨床精神医学, 2008)。
当院における治療方針と専門機関との連携マネジメント
脳卒中後の高次脳機能障害や精神症状の治療においては、「リハビリテーションによる認知機能の回復」と「薬物療法によるこころの安定」を両立させることが重要です。
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高次脳機能障害への対応
失語症(左中心後回・弓状束障害による伝導失語やWernicke失語など)、古典的失行(左縁上回障害による観念運動性失行、左角回障害による観念性失行など)、あるいは空間認識の障害(右下頭頂小葉障害による半側空間無視や左右識別障害を伴うゲルストマン症候群など)といった高次脳機能障害に対しては、詳細な高次脳機能検査(SLTAやVPTA、CATなど)に基づく専門的なリハビリテーションプログラムが不可欠です(大槻美佳, 高次脳機能研究, 2007 / 平山和美, 高次脳機能研究, 2015)。当院にはこれらの専門的なリハビリテーション職(ST)が常駐していないため、まずは地域のリハビリテーション専門病院、訪問リハビリ機関等と病診連携を図る方針を採っています。 -
精神症状へのアプローチ
一方で、精神症状や行動の異常に対しては、当院にて積極的な薬物療法を行い、確実な症状の改善と介護負担の軽減を目指します。-
脳卒中後うつ病・不安障害
SSRI(エスシタロプラム、セルトラリンなど)やミルタザピン等の抗うつ薬を第一選択とし、難治例には三環系抗うつ薬(ノルトリプチリンなど)の低用量からの調整を行い、低下したモノアミン経路に対する薬物療法を図ります(Robinson RG, et al, Am J Psychiatry, 2016)。 -
易刺激性・暴力行為
これらは前頭葉の脱抑制だけでなく、潜在的なうつ病の異形表現であるケースがあるため、抗精神病薬やベンゾジアゼピン系薬を多用するのではなく、抗うつ薬の適正処方や、暴力的行動の制御に有効性が示されているβ遮断薬(プロプラノロール)の慎重な導入によって、感情の爆発を軽減させます(Chan KL, et al, Arch Phys Med Rehabil, 2006 / Fleminger S, Cochrane Database Syst Rev, 2006)。 -
アパシーや躁状態、精神症
アパシーに対してはドパミンアゴニスト等のドパミン系の調節を検討し(Sami MB, et al, Acta Neuropsychiatr, 2015)、脳卒中後躁病に対しては気分安定薬(バルプロ酸など)の中から処方設計を行います(Dervaux A, J Neuropsychiatry Clin Neurosci, 2008)。
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「脳卒中の後から急に人が変わったように怒りっぽくなった」「リハビリへの意欲が全く湧かず、ボーっとしている」といった症状は、脳の病変によって生じる精神症状かもしれません。一度、当院の脳とこころの専門外来までご相談ください。

この記事の執筆者
岩田 邦幸 (笠寺精治寮病院 副院長 / 医学博士)
精神保健指定医、日本専門医機構精神科専門医、日本神経学会専門医・指導医、日本認知症学会専門医・指導医、日本老年精神医学会専門医・指導医、日本内科学会総合内科専門医、臨床神経心理士、日本医師会認定産業医。脳神経内科と精神科の二刀流Drとして両科の知識と経験を活かし、「脳とこころの専門外来」にて最新のエビデンスに基づいた神経精神分野(neuropsychiatry)の診療、パーキンソン病治療、認知症治療・BPSD治療などを提供している。